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火祭りや若衆が置かれている状況をなるべく正確にご報告しようと一昨日のような記事をこれまでも何度か書いてきたんですが、いつまでたっても上手に表現することができません。
文、下手ですねぇ、アホですねぇ、恥ずかしいです……うまく説明できないっていうのは、自分がその事柄をよく消化できていないってことなんでしょう。もっとマシにならないとなぁ。。。 話は変わりますが、昨晩は消防団の活動で夜に出てきました。 消防団は全国的な組織で、毎年今くらいに「繰法大会」という競技会を行っているのですが、今年は隣町の岩倉町が鳥羽大会に出場します。25日の大会に向けて練習中の所へホース巻きのお手伝いに消防団部長と二人で行ってきました。 うちも何処も後継者不足に頭を抱えていますが、岩倉も若手の入団、活動への参加が少なくて困っているそうです。 ただ、少し詳しく聞いてみると、若い子の絶対数がそれほど少ないのかと思ったらそうでもなくて、地元に暮らしていても入ってくれなかったり、渋々入団しても実際には活動してくれなかったり、少し注意をするとすぐに退団を申し出るといったようなパターンが多くなっているんだそうです。 なんだかつまらない話というか、つまらない連中だなぁと私は思いました。 繰法大会の内容が正にそうですが、みんなで連携して放水したり、訓練のあと焼き肉なんか食べに行ったり、やる気を持って向かえばそれなりに面白い集まりだと思うのだけれどなぁ、私は。 河内はまだ若い子も入ってくれているからいいです。個性的で面白いヤツばかりですし。 ここで自分の昔の話をします。 これは内緒ですが、私が河内に引き上げてきて30歳前に入団した時などは、訓練をするでもなく、飲んだくれてどうでもいい話ばかりしている先輩たちを見た時には、何てくだらない集まりだろうとガッカリしたものでした(笑) 今の若い子たちも団にそういう印象やイメージを抱いているのかもしれませんね。また実際にそんな一面が残っているのでしょうね。 迎え入れる側の我々も個々がもっと魅力ある人間になるべきで、もっと魅力ある組織にしていくべきなんでしょうね。 ▲
by kaizoe
| 2006-06-22 00:46
| 田舎生活
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この24日、若衆たちは公民館の会議室で集会を開き、祭りの今後について話し合うそうです。
このサイトを開いた動機が、まず、若衆の減少による祭りの危機打開につなげる為であり、当初から「今、祭りは存続の危機にさらされています」といった言い回しを続けてきたのですが、今年はまさに崖っぷちに立たされる状況に追い込まれました。 15年前、私が河内に帰ってきた時には若衆はまだ70名以上おり活気に溢れていましたし、15歳で初めて若衆に入った時などはさらに多く100名を超えていたかもしれません。それが今では30名そこそこです。祭りを威勢良く、かつスムーズに執り行うには最低50名は欲しいですから、今の状態は崖っぷちというより、正直にいえばすでに崖から落ちて潰れている状態ではないかと私は感じています。 私が鉦打ちから鉦役に上がり、3年前に頭をやらせて貰った頃も深刻さは似たようなものでしたが、それでもだましだまし、やりくりしながら何とか続けてきました。 止めたくないし、止めるわけにはいかなかった。また、祭りを好きな者、河内というふるさとが好きな者、亡くなった方、ご先祖との関わりを大切にしたいといった方々の気持ちに後押しされ頑張ってきたここ数年でした。 ですが、そろそろ限界のようです。 今年と、来年以降のこれから、祭りをどうしていくのか、まずは開催当事者にあたる若衆たちが集まり、意見をまとめようということだと思います。 若衆の減少問題は産業構造の変化による過疎、少子高齢化、暮らしや価値観の変化など複雑な社会問題が背景にあり、村や市からの人口流出を止めるという抜本解決を成し得るのは我々には容易ではないと思います。成人となり、市外への就業をきっかけに若者が多数若衆を抜けていく今の傾向の中で、残された10代、20代、それから地元に残ったわずかな30代、40代の者たちで、努力をする、知恵を出し合うといったところで一体どれだけのことができるでしょうか。 今までのスタイルを貫くのだというここ数年の我々の戦いについては残念ながら敗北は決しているようであり、この先の方向としては、その事実を受け入れ、柱松(火祭り)を止め、周辺地域と同じように鉦と楽による先祖供養を行う大念仏のみを行っていくというのが、一番妥当な落ち着き先ではないかと私は予想します。 たぶん、先輩方を始め、河内の多くの人たちがそう考えているのでしょう。 火祭りは勇壮で、参加する者は(たぶん見ている人も)血が騒ぎ、色んな意味で面白い行事だと思いますが、人的、金銭的コストがかさみ、裕福ではない田舎の村には負担が大きすぎるところがあります。 「もう(柱松を)止めては」と、誰かが声を出す時期に来ているのかもしれません。 ただ、私は死んでも止めようとはいいませんし、そういう案には賛成もしませんけど。 だって、まだまだ最善は尽くしていないですし。 続けていく、いや、これから盛り上げていく方法も幾通りもある筈ですし。 流れとしては祭りは衰退と消滅に向かっていますが、いつもいっているように無くしてしまうには惜しいし、そうすることは村にとっても大きな損失になると思っています。 また、止めるも続けるも河内に住む、あるいはゆかりのある人々の考え方次第であり、皆がその気になればまだまだこの祭りは続けていくことができると確信しています。 この祭りの有益性、すばらしさについて皆知らな過ぎること、みんなで協力しあってこの村で生きていくのだという意識が足りないところに問題があるのだろうと私は思っています。 そういったことを皆に解って貰うのはやはり並大抵のことではないでしょうが、くじけないで運動していくべきだと思います。 祭りを続けていくことについて私たちは悩み、努力し、話し合い、色んな辛い思いもしてきましたが、それは見方を変えれば、これからよりよい地域社会を築くこと、そのために古来から受け継いできた村社会(組織)の良いところを守り、延ばしていくことについて考えてきたのだろうと思います。 祭り=一つの行事をどうするかという表層的な一面にとどまらず、人々の精神的な繋がりについて、これからの地域の生活について、社会の変化に伴う再編成を目指して走ってきたような気がします。 日本のあちこちでは、地域社会という繋がりが弱まり、あるところでは崩壊し、様々な問題を露呈させていますが、私たちの村は祭りをシンボルとし、受け継いできた人々の密接な繋がりを通じて、そういった地域の絆の崩壊という事態はこれまで回避できてきたと思います。 柱松を止め、祭りを簡略化するのは一見簡単ですが、そうなれば後にもっと深刻で致命的なツケを突きつけられられることになるだろうと私は考えます。 こんな貧しい田舎で、人とお金がなくなり、そして人同士の絆までなくなればいよいよ衰退し後は滅びるのを待つより他なくなるでしょう。祭りをどうするかという議題の背景には、もっともっと複雑で重大な問題が横たわっていると私には見えるのですが。 この祭りの存続問題をきっかけとして地域社会について真面目に考えるのは大人たちにとってもいい機会だと思います。 村全体を巻き込んだ組織改革という次のステップに進める為、町内会や組合にいいボールを蹴って貰うよう、若衆たちの会合に期待したいと思います。 ▲
by kaizoe
| 2006-06-19 19:59
| 河内火祭りと若衆
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サイトのトップページを長らく更新してなかったので、「何か旬の被写体はないものか」と、河内の奥にまた行ってみました。
渓流沿いは涼しくて何処も相変わらず奇麗なんですが、カメラで切り取るには草や木の葉、木の枝がよく茂り、一面緑一色といった風で今ひとつ面白い構図に出会えません。結局、いつもと似たような写真を撮って帰ってきました。 ![]() ![]() (コンパクト)カメラには収まり切らないんですが、渓流沿いの谷を開墾しているので、川と木々と田の緑の平面と石垣が織りなす色彩や造形美が変化に富んでおりとても面白かったですし。 しかし、いつも思うことですが、これらの造成工事を我々のご先祖はすべて手作業でやってきたというのがどうしても信じられません。まったく驚異です。 ![]() ひとつショッキングな出来事もありました。 家に帰った頃、足が少々痒くなって靴下の上から掻いてみると、何か異物の存在を感じました。いやな予感に慌てて靴下を脱ぐと足の甲は血で赤くまだらになっており、靴下を投げつけた辺りのフローリングにヒルを見つけてゾゾゾッと縮み上がってしまいました。何度も何度も足下を確認しながら歩いていたのですが、アヤツらはどうやって服や靴下の中に入り込むのでしょうか?普段の動きはとても鈍いのに不思議です。 ▲
by kaizoe
| 2006-06-18 01:44
| 自然と共に
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夜の10時過ぎ、消防団の格納庫で話をしていると山に行っていた仲間たちが帰ってきました。
昨晩は団の毎月1日、15日の機械器具点検日と火祭り(盆祭)の会議が重なり、祭りの執行部である鉦役の面々は会議が終わった9時くらいから河内の山奥に行っていました。 今年は柱松に使う丸太を新調するそうで、どの木にするか見に行ったのだそうです。 「いやぁ、今日はすごい体験をしてきたわぁ」 と、去年、団の部長をつとめたタケちゃんが開口一番いい出しました。 「河内ですごい体験っていうても、まぁ、しれとるやろ……でっ、何があったん?」 と、わたし。 「シカやイノシシいっぱいおったよ。あんなにいっぱい見たのは生まれて初めてやわ。一匹や二匹と違うんやんな。あっちにシカが3匹、こっちの道ばたにはイノシシが普通に歩いとって……とにかくウジャウジャおったよ」 タケちゃんはついさっき見た光景をありのままに話しているのですが、到底日本の話とは思えませんでした。 我が村は結構田舎だとは思っていましたが、まさか野生動物の楽園になっているとは。 「あぁ、ブログのネタには最高やけど画像が欲しかったのぉ。何で誰か撮ってこうへんねん!」 と、思わず突っ込んでしまいました。 しかし、明かりもない夜の山に入るのは怖いでしょうし、危険もあるでしょう。 第一、木を見るなら昼間の方がいいでしょう。 何でそんな時間に彼らは行ったのでしょうか? そういえば、わたしたちが鉦役や頭をやった頃も同じでした。みんな忙しくて夜じゃないと集まる機会がないんでしょうね。 祭りの会員が一段と減り、つまりは若衆の人数が今年は一層減り、かなり厳しい状況が続きますが、あえて今年は柱松も新調してと、みんなやる気は満々です。 ▲
by kaizoe
| 2006-06-02 23:47
| 河内火祭りと若衆
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