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田舎の暮らしと夏に行われる火祭りについてつづっています
by hisa
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2004年 07月 09日 ( 1 )

夏の時間旅行
a0019755_20116.jpg柱松が勢いよく燃え上がると、やがてそこから立ち上がっている3本の旗竿が地上へ向かって次々に倒れます。
竿の高さも柱松と同じおよそ10メートル、その先端に付けられた扇、ウチワ、ムカデと呼ばれる3種の旗はご神体の様な大切なものですから、燃やしてしまうわけにはいきません。
そこで、旗切りという役割の者(←そのまんまや~!)がナタを持って柱松の根本に飛び込み旗を回収することになります。そのシーンがまた一つの見所です。
3本がどういうタイミングで倒れるかは分かりません。一本を切りに行っているところへ別の旗が旗切り目がけて倒れ込んでこないとも限りません。滝の様な火の粉がいつ降ってくるかも知れません。旗切りもまた危険を伴う役割です。
相当のリスクを犯して行くわけですがその緊迫した中、ナタを振るって何刀で竹にくくりつけられた旗を回収するか観衆は見守ります。
一発で切り落とすと拍手喝采!
しかし、慌ててしまい何回振るってもなかなか切り離せないこともあって、そういう姿は必死である本人には悪いけれども見物人にはとても可笑しい(笑) 
どっちにしてもなかなか面白い場面になります。

旗の回収が済むと燃やすだけ燃やして火祭りも終了の時を迎えます。
頭や組合長の言葉があるわけでもありません。
柱松を倒すことで火祭りはあっけなく終了します。

ただ、その時が頭衆としては最後にして最大の緊張の瞬間になります。
何しろ火祭りの行われる広場はビックリするくらい狭く、10メートル以上ある柱松の倒す方向を間違えれば観客や誰かのお墓を直撃しかねません。
3方から柱松を支えていた太綱を緩め、安全な西側方向の綱を引っ張って倒すのですが、この時、場は騒然としていて掛け声は届かないし、暗がりで頭の姿は全員からはまず見えません。
というわけで大抵スカッとはいきません(笑)
一昨年、去年と頭をやらせて貰った祭りでは何とかいい方向に倒せました。

あっ、倒したすぐ後に消火の為に10メートルばかり柱松を移動するのですが、この場面がまた迫力があるんですわ、なかなか。
倒したところで、その根本は太い藤ツタで頑丈にくくりつけられているので、ツタを切り放さないと柱松は移動できません。
その為に残り2方の太綱を持った若衆達が暗闇の中を全速力で西側に突っ込んできます。そして、藤ツタを引きちぎれといわんばかりに全員で力任せに引っ張ります。
野次「コラー!とろくさいぞ!もっと引っ張れっ!」
頭「待て!根本を切るまで待てっー!」
などと、色んな怒号が飛び交って命令系統も滅茶苦茶です(笑)
結局若さの有り余った若衆達はめったやたらに引っ張り続けて、根本のツタが切られるとその勢いのまま、観衆を蹴散らしながら(大抵瀬戸際で逃げてくれますが・笑)狭い広場の隅っこに向かって若衆と柱松が一気に突っ込んでいくことになります。
火が消されると、火祭りの岡はやがて暗闇と静寂に包まれ、そうしてやっと関係者や観客は岡を後にするのです。

火祭りの後、精霊送りという目的でもう一度大念仏をする為に、全員出発点の観音堂広場にむかうのですが、その道すがら一昨年、夜風に乗って観衆の方のこんな感想が聞こえてきました。
「とんでもない祭りや。ここだけ戦国時代やで」
具体的な言葉は忘れましたが、そんなことを言ってました。
その言い方がやたら実感こもってまして、聞いてる方としては複雑な心境でした(^^;

一応、最後まで頭の厳しいイメージを通したかったんで、わざと難しい顔をしたまま下駄を鳴らしてその人達を追い抜きましたが、いっそ彼らに駆け寄って、
「年がら年中こんなことばっかしてないで~!ボクらやってネットもすりゃ、ジャスコに買い物も行くんやで~!ちゃんと今時の人なんやで~(ノ_<。)」
と、おもっきり言いたかったです、ホントは。

by kaizoe | 2004-07-09 20:12 | 河内火祭りと若衆