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我が河内火祭りにはもの凄く緊迫する場面が一カ所あります。今日はそのお話です。
左の柱松は高さ10数メートルありますが、そこへ点火するために、若衆達は火のついた小さな松明を地上から放り投げます。 その松明が左下画像に見えるタイです。 そのタイを、火祭りが始まるまで保管するのは前年に頭役を終えた介添えの役割です。今年はボクともう一人Oさんの二人が行います。 大念仏を終えた深夜0時過ぎ、火祭りを始めるよう介添えは柱松前のよのみの大木に乗せて保管していたタイ100束を頭衆4人に手渡します。 その時にある修羅場が訪れます。 伝統的に、火祭りの時には頭衆VS鉦打ち以下の若衆連合という敵対関係が形作られることになっています。 頭衆は4人、若衆は50人以上(今年は40人台に減少)、人数のハンディを補う為に頭衆には青竹の杖が持たされており、祭りの開催時間を通じて秩序を守る為に従わない者を容赦なくぶっ叩いてもいいことになっています。 ただ、実際に頭衆と若衆達が直接衝突するのはこの時だけ。普段の友達づきあいも一時中断し、頭衆、若衆、お互いの顔が見る見る険しくなっていきます。 簡単に言うと、介添えから頭衆にタイが手渡される瞬間をついて、威勢のいい若衆がタイの横取りを仕掛けることがままあるのです。 介添えから頭衆にそして若衆に正式にタイが手渡される前にそれが奪われることは頭衆の最大の恥とされています。 大念仏の間、羽織袴姿ですまして立っていた頭衆に一泡吹かせて笑ってやろうということでしょうか。 頭衆は誰かがタイを取りにくることを前提に身構えます。 祭りをよく知っているOBや観衆はその瞬間を待って固唾を呑みます。 暗がりの中、よのみの木の上から介添えによりタイの大きな束が手渡され、 「10、20、30……」 と、上の頭(かみのかしら)が100束あるかどうかゆっくりカウントしていきます。 その時、己の力に自信のあるものは青竹を突っ立てて仁王立ちで待ちかまえる頭衆3人の真ん前に行き、わざと挑発するような態度をとったりします。 「40、50、60……」 何秒間かの緊迫した時間が流れ、沈黙は突然破られることになります。 ザッと、誰かがタイの山目がけて突進したかと思うと、バシッ!バチン!バキ!バキ!と、打撃音が響き渡り、頭衆達の青竹が飛び込んだ若衆の背や腰、腕に向かって容赦なく振り下ろされます。 ここ数年、元気のいい若衆が必ずいて、何人かがタイを取りに来ています。 ボクは一昨年去年と頭衆の役でしたのでしょうがなく叩いてきました。 変に手加減すると硬いままの青竹で彼らを叩くことになるので、一撃めで竹が割れるように思いっきり叩きます。 可哀想だなんて甘いことを一瞬でも考えたら負けです。 過去には若衆にまんまとやられてタイを持ち去られ、祭りが長い間中断、場内は混乱し結果頭衆が恥をかくハメになったこともありました。 100タイの内、一束でも奪われると火祭りは始められません。 取られた時には頭達は下駄を脱ぎ捨て猛然と追いかけ回し、青竹で殴り据えてでもタイを取り返しにいきます。普段大人しい人でもその時ばかりは本物の鬼に変わるようです。 一昨年と昨年は危うく取られ掛けましたが何とか取り返し無事に火祭りを終えることができました。 それにしても、余興やいたずらにしては度が過ぎています。 何故、そこまでするのか出来るのか飛び込んでくる彼らの気持ちはよく分かりません。でも正直、頭側としても誰も取りに来ないとやっぱり物足りないんですよね。 一昨年、タイを取りに来たある若衆は、青竹を背中に存分に喰らっている筈なのに、祭りが終わってからボクら頭衆の前にやってきて深々と頭を下げました。 「ありがとうございました」 と、一言。その若衆は、訳あってその年を最後に祭りを抜けてしまいましたがとても残念です。去年は別の二人が取りに来ましたが、一人はやはり終わった後で頭を下げにやってきました。 もうひとりはその後会った時に肩に残ったまだ腫れも引いていない傷跡を見せて少し自慢そうでした。 「岡の儀は岡で」そして「岡の儀は持ち越さない」そういった暗黙のルールがあって、その騒動が後に尾を引いたことはありません。 今年は誰が取りに来るのか楽しみです。 あっ、今年ボクは木の上から、これがホントの高みの見物というヤツをさせて貰います(笑)
by kaizoe
| 2004-07-06 04:14
| 河内火祭りと若衆
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