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![]() その連れの女性は中学生当時、学年のマドンナ的存在でした。 その日も30半ばを過ぎた彼女は以前と変わらなく美しかった。 本堂では死者を送るお坊さん達のお経が続けられていましたが、その時、彼女がぽつりとこんなことを言いました。 「お墓は(お寺の)山の上にあるんやけど、正面に海が見えるんさ。わたし、そこにやったら入ってもええと思っとるんよ」 およそ死とは無縁と思われる若い女性から唐突にそんな言葉が出るのは意外でしたが、それでも、丘の上に開けた墓地から太平洋の海原が見渡せるその情景を思い浮かべるとその人の気持ちが少しは分かる気がしました。 ボク達の村はそこからは少し離れた山の中にあります。 海こそ見えませんが「大念仏・火祭り」が行われる墓地もやはり見晴らしのいい小高い丘の上にあります。 祭りは「大念仏」という名称からも分かるように死者やご先祖という存在と切っても切れない間柄になるのですが、これまた死という事柄とは余りに縁遠い……恐らく対局に位置するだろう10代20代の若者の目に、この「死者の魂を弔う祭り」というものがどう写っているのでしょうか。 きっと「死」や「ご先祖」のことなど頭の隅にもないでしょうね(笑) かくいうボク自身がつい最近までそうでした(^^ゞ ただ……人間家業もある程度続けていると先の幼なじみの親御さんのご不幸というような、人の死ということに段々と出くわすようになりますね。 時には自分の家族、親戚、知人本人が逝ってしまうことにも……遭遇せざるを得なくなってくる。 ボクの子供の頃から馴染み深かった親戚や近所の人達も大分逝ってしまいました。 ある時、親戚のお婆さんが亡くなり、お墓に埋葬されたすぐにお参りに行ったことがあるのですが、その日は小春日和の温かい日で、生涯お嫁に行くこともなく亡くなった目の不自由だった彼女をかわいそうに思うよりも「ここでいつまでも安らかに眠ってください」と、何故かホッとした気持ちになったものでした。 その時、死というものの暗く恐ろしいというイメージが少しだけ変わった気がしました。 自分もいつか死が訪れた時にはその丘の土に紛れ、雑草や木々を育て虫の体に取り込まれその虫を食べる鳥の体の一部となって自然と渾然一体になりたいものだと思いました。 田舎に暮らし、祭りに親しみ、時には心やすい人々の死に接しながら、ボクらは生きることの奥行きやぬくもりを静かに教わっていくのかも知れません。
by kaizoe
| 2004-05-14 00:21
| 田舎生活
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