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![]() 祭りで使用する柱松(火柱)は松といっても実際は杉の丸太を使用しています。 乾燥を防ぐ為に祭りが行われる8月7~16日以外は川の底に沈めて保管しています。 台風や集中豪雨の増水でたまに流されてしまい、慌てて探しに行き、下流の橋の橋脚に引っ掛かっていたり、鳥羽湾に漂流しているという情報を市民から得たりで、トラックで回収に出向いたことも過去に何度かありました。 柱松の保管責任は頭(鉦役衆)にありますから、大雨のあと川底に柱がなかった時は当事者たちは真っ青になったそうです(笑) 画像は祭りの広場まで運ぶ為にトラックに乗せているところですが、以前は、 「(柱松上げでは)金気に触れてはいけない」 と、いい、1トン近くあるこの柱をこんな状態のまま1㎞近い山道を歩き、みんなで担ぎ上げていました。 私は規律が変わる境目の頃に若衆に入り、1度だけ人力での作業に加わりましたが、肩に掛かる重さは半端じゃなかったですね~、今でも痛みを覚えています。 そこで、メンバーたちの人間性って良く分かるんですが、若衆は当時かなりの人数(70人以上)いたんですが、人数の割にもの凄く重く感じたわけです。 おかしいなぁと。 みんな担いでいるフリをしてすましているんですね~。 不真面目なのが多いことに気付いたあとは私も適当に力を抜きましたけどね(^^ゞ で、こちらが肩を少し下げると別のヤツが覿面にウッ!とかギャーというからおかしいです。 坂の勾配が変わったり、何かの拍子に柱松が傾くと、 「イタタタ、コ、コラ、誰や抜いたん!肩しっかり入れんか~」 などと、誰かが言い、 「入れたいけど、俺背が低いからぶら下がっとるだけなんや~、しゃぁないやん!」 なんて、別のどっかから声が上がり、そんな風に皆で馬鹿なことを言いあい、痛さを紛らせながら上がっていきました。 辛かったけれど、結構面白かったですね~。 そういう河内の祭りの様子を指して、 「昔は皆でヤーヤー言いもんで(準備を)やったもんや」 なんて、言います。 ちょっと真面目な話になりますが、最近はさらに規律を緩め自動車、機械、電動工具などを使い、準備はドンドン合理化されているんですが……便利になった部分と大切な何かをなくした部分と実は半々なんじゃないかと思い始めているんです。 機械化してしまえば手順は建築や土木の現場とそんなに変わらない。 時折自分たちは何をやっているんだろうと冷めて見てしまう。 「祭り」って、何なのだろうと分からなくなり。。。 若い頃、 「金気に触れてはいけない」 と、いう話を上の人から聞かされた時、 『自分のいる村は昔話の国か?』 と、内心恥ずかしくなったんですが、最近はそういうポリシーや決め事の一つ一つに本当は深い意味合いがあったのではないかと思うようになりました。 かといって、昔のやり方に戻すことはもはや難しいのですが。
by kaizoe
| 2005-01-12 02:09
| 河内火祭りと若衆
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