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田舎の暮らしと夏に行われる火祭りについてつづっています
by hisa
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<   2004年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

環境は自然豊か、住む人は先進的…それが理想!
9月から、村の公民館でパソコン教室…のようなものを始めることになりました。

ボクにとって、インターネットやメールを使っての情報収集や人付き合いが有意義でとても楽しいから、
「この良さを知らない人に広めた~い!」
と、単純な動機で町内会に発案したのですが、トントントンとこのたび実現の運びとなりました。

始めたはいいが誰も来なかったらどうしようと、結構心配していたんですが、婦人会の皆さんが正式活動の一つとして参加下さることになり、自由参加の方も含めると受講者は10名を軽く超えてしまいそう。
「えっ!?そ、そんなに来るんですか?」
昨日、婦人会長さんがわざわざ家に来てくださって、
「いつからにしましょうか?まずは先生のご都合をうかがわないと…」
と、おっしゃるんです。
日にちはとりあえず日曜ごとと簡単に決まったんですが、
「いや、いや、いや、待ってください。先生は駄目ですよ。それに授業形式で教えたりできるほどのスキルも話術もボクは持ってませんから。分からないところがあれば、みんなで教えあったり、ネットで調べたりして詳しくなってって貰えばいいかと思ってるんです。みんなにはそこでパソコンを好きなように使って貰って疑問や興味のある事柄が見えてきた時点で質問して貰う。その都度個々にアドバイス…そんな感じでやってみたいです。とにかく楽しくやりましょう」
と、今の正直な気持ちを述べたのですが。
これからどうなりますやらね~。

まずは疑問を投げかけられた時、なるべく正確な知識を伝えられるようにしなければ。
と、いうことで、昨日からずっとパソコンとネット関連のおさらいをしています。
でも、
「うわっ~、この世界ってやっぱ広いな、深いな~。うぇっ、この辺すっかり忘れてるよ~」
と、かなりクラクラしっぱなし。

何とか楽しくて内容のある場所に育てたいんだけどなぁ。
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by kaizoe | 2004-08-29 02:17 | 田舎生活
夜去り
近頃、季節はずれの台風が次々に襲ってきたり、夕立ちで大きな雷が鳴ったりしていますが、そういえば最近は「停電」することが少なくなりましたね。

今は各地域の電線がループ状に敷設されていることが多く、仮に何処かの電柱に落雷があり送電が途絶えても別のルートから電気を送ることで広範囲の停電を防ぐような工夫がなされていたりします。
昔は夏の雷雨の時期や秋の台風シーズンは停電に備えてろうそくや懐中電灯を用意するのが当たり前でしたけどね、世の中気付かないところで色々進歩しているのですね。

そういえば、最近は「漆黒の闇」というような状態を経験することも少なくなりました。
街は一晩中明るいですから明かりなど持たなくとも大抵のところへは安全に歩いて行けます。

「夜」のことをボクが小さい頃、近所のお爺さんお婆さん達は「よさり」と言っていました。
これは方言というより古くからの言い方で、万葉集などにもその言葉が使われています。

「ぬば玉の 夜去り来れば 巻向の 川音高しも 嵐かも疾き」(柿本人麻呂)
※歌の解釈・暗い夜が来ると巻向を流れる川の川音が高いことだ、嵐が激しいのであろうか

今では「よさり」という言葉を日常会話で聞くこともなくなりましたが、
「では、よさりに訪ねて行きますわ」
と、いったような使い方をすると、何か真っ暗な夜道を誰かがトコトコ歩いて行く様なイメージが浮かんできます。

ボクは夜は真っ暗の方が好きです。照明と防犯を兼ねて街に街路灯が増えたのは致し方ないとはいえ、何だか夜の魅力を殺してしまっているような気もします。
真っ暗で空が晴れていればたくさんの星が見える筈ですし、新月かまだ月が隠れているのだということにも気付きます。
月が出ていればその明かりを頼りに歩くだけでちょっと楽しいですし、ぼんやりと照らし出される町の様子も少しは幻想的に目に映ることでしょう。

東京に住んでいた頃、天の川が懐かしくて、
「一年に一日くらい、東京中の明かりを消して【星を見る日】を作ってくれないもんかなぁ」
なんて、よく思いました。
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by kaizoe | 2004-08-26 23:50 | 田舎生活
夏草や
a0019755_22134249.jpg以前から一つの疑問を持ってきました。
うちの祭りは、
「九鬼嘉隆(くきよしたか)が甥の澄隆(すみたか)の供養の為に始めた」
と、教わってきたのですが、それが今ひとつ納得できないのです。

嘉隆は当時、鳥羽志摩地方の領主の地位に確かにあったとはいえ、九鬼家は元々は紀州、熊野地方から流れてきた海賊であり、地元民にとっては所詮よそ者、むしろ侵略者的な立場になるわけです。
権力によって最初この祭りを押し付けられたとしても、反骨心や独立心が当時もたぶん強かっただろう我が村のご先祖達が嘉隆が亡くなった後々まで大人しく言いつけに服従していたとはちょっと思えない。
ましてや、九鬼家が鳥羽志摩地方を納めていたのは息子の守隆までで、次の代の久隆は徳川幕府によって兵庫の三田に転封されています。

辺境の農民達が400年もの間、一つの歴史的事実から起こった行事を、主に語り継ぎにより正確に伝えてきたというのは少々不自然な気がします。
当時は書き物もそれ程残さなかったでしょうし、時が流れ、領主(藩主)が代わり、平和が訪れる過程で九鬼家の印象は地元民達の記憶から薄れていったのではないでしょうか。
本当に最初書いた嘉隆の命だけを動機にしていたら、祭りはとうの昔に途絶えていたのではないかと思います。

一方、河内の隣、松尾町には、
「文禄の役で戦死した者の霊を弔った行事に始まる」
と、いった内容の文書が残っているそうです。
文禄の役とは有名な「秀吉の朝鮮出兵」のことであり、その戦に嘉隆は60隻の軍艦を指揮し統帥として赴いています。
兵士にはきっと自分の家臣、つまりこの辺り一帯の男達も多数連れていった筈で、その海戦では李舜臣率いる朝鮮軍にボコボコにやられてしまったのできっと戦死者もたくさん出たのでしょう。
海の彼方に行ったっきり帰らぬ人となってしまった、家族や近所の仲間達の霊を弔う為に祭りが始められ、その後しっかりとこの地に根付いたとすれば先の説よりもずっとしっくりくるような気がします。
「戦死者の供養をせよ」
と、命令したのは同じ嘉隆だったでしょう。
その時に、
「澄隆の供養もせよ」
とも言ったのでしょう。
でも、人間なんて所詮他人の言うことで本気になりはしないもの。
人々が何かを続けるには自分達にとって意味のある動機が必要じゃないでしょうか。
と、いうことで、ボクは「文禄の役」を切っ掛けに祭りが始まったというこっちの説を押していこうかなと思っているところです。

年号や人の名前がどっさり出てくる歴史の授業は大嫌いでしたが、こうして身近なことから昔々への歴史の糸をたぐり、遡っていくとちょっと楽しいな~。

(画像は文禄の役の際に組織された艦隊です。中央は嘉隆が建造した旗艦・鬼宿=日本丸)
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by kaizoe | 2004-08-19 22:56 | 歴史の旅へ
一日遅れですが
ご報告が遅くなりましたが、今年も祭りを無事に執り行うことができました!

昨日は朝方から強い雨が降り、一時は「去年の再現か!」と危惧されましたが、柱松の製作に入った頃には止み、その後はずっと薄曇りになりました。
終わってみれば、風も涼しくむしろ絶好の気候に恵まれたようでした。
そのお陰でか?本番が始まってからも全て順調に進み、ラストの柱松も綺麗に燃え、うまく終わることができました。
若衆は今年も終始全開で頑張ってました!

ボクは今年「介添え」役で遠くから見守っているだけ(正確には飲んだくれているだけ)だったので、個人個人の心中までは分かりませんでしたが。

あぁ、若衆達の生の声をお届けできれば良かったのですがね~。
誰かに感想文でも書かせようかな?
でもなぁ、祭りを目一杯楽しんでいる連中に限ってそういうのまったくダメだったりするんですよね~。

a0019755_23531919.jpgそれから、申し訳ないですが今年は撮れ撮れの画像はありません。
ボクは役割があって撮影などしていられなかったのと、費用節約の為カメラマンも頼みませんでした。
代わりに、というか、オチ代わりにある介添えの記念写真など見てやってくださいませ。
「ねぇ、もしかして眠い?」
って、よく聞かれるんですけどね、これが標準の顔なんですわ。
つうか、いつもこんな締まらない面なんでしょうかコイツは(ノ_<。)うっうっうっ


a0019755_23533731.jpg幼稚園に入る前、父親の紋付き姿がちょっと格好良く見え
、青竹にも憧れて細い竹を持たせて貰って写真を撮ったことがありましたが、ボクもこんなに大きくなりましたよ(笑)

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by kaizoe | 2004-08-16 23:58 | 河内火祭りと若衆
輝けるものはこわれやすく
a0019755_22452115.jpg練習を見に行ってきましたがスゴイ熱気でした。
明日の「大鳴らし」という前夜祭と明後日の本番に向けて、今晩はまだ自由練習なのですが、ほとんどの若衆達が集まってきていて本番さながらの盛り上がりを見せていました。
正直、何がそんなに面白いのか良く分からないんですが(笑)ここ数年の若衆達のやる気はホントスゴイんですよね~。

若い子達が活き活きしてる様子、一生懸命の姿を見るのは理屈抜きに気持ちのいいものです。
諦めがちになる現実や未来に対しても、何故かもう一度希望を持ってみたくもなります。
こういうのを「パワーを貰う」っていうんでしょうかね。
対象は女性じゃないし、健康的である意味純粋でしょ?(笑)
a0019755_2254407.jpg
そして、彼らのそんな姿を目の当たりにする度に、ボクら大人は彼らのやる気を無駄にしないよう、場を無くしてしまわないよう、祭りを続けられる体勢整備、仕組みの改革をしていかないといけないなぁと使命や責任を感じます。a0019755_22111416.jpg


こういう活気ってなんなんでしょう?
別に何かの大会を目指しているわけでも、頑張って誰かに褒められたり表彰とかして貰えるわけでもないんですけどね。
でもね、たぶんかけがえのないいい時間、いい空間が今そこに存在していることはまず間違いないと思うんですよ。
これをどうにかして守っていきたいなぁ。
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by kaizoe | 2004-08-13 22:41 | 河内火祭りと若衆
精霊さん
お盆行事で「しょうろう送り」とか「しょうろう流し」なんていうのがありますが「しょうろう」には「精霊」という漢字をあてますよね。
ちょっとファンタジックな感じしません?

子供の頃、8月15日の夜に母から、
「もうすぐ、しょうろさんを送りに行かないかん」
なんて聞くと、
「誰が来てるんやろう?こんな夜中に誰と会うんやろう?どうも人間ではないみたいやし、でも、そうやとしたら一体何モンなんやろう?どんな姿してるのか こっそり後をつけて見に行こうかな」
などと、未知の世界や摩訶不思議な存在に対する興味や好奇心を抱いたものでした。
でも、小さかったボクはいつもその時間まで起きていられなくて、朝起きてから、
「また、しょうろさんの正体突きとめ損ねた」
って、ガッカリ。
毎年その繰り返しでした。
この場合の精霊は妖精や妖怪のことではなくて勿論祖先の霊であるわけで、そう聞いた時に、子供ながらに信仰や形式的な先祖供養の行事の一つだということを納得しました。
ただ、そういう事を知ってしまうと、
「な~んだ、それだけか、つまんねぇ」
って、楽しい夢から無粋に揺り起こされた気になったりしましたが。
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by kaizoe | 2004-08-11 02:42 | 田舎生活
7ヵ日
a0019755_1146252.jpgそう言えば、今日8月7日はボクにとって記念すべき日だったのです。

今年もこの日、祭りの本格的な準備に入る「七ヵ日の出合い」が行われ、乾燥から守る為に川底に着けてあった柱松が引き上げられ、祭り会場の穏田岡に運ばれました。
思えば15歳(中学3年)のこの日以来、こちらで暮らしている時には朝8時前にこの柱松の堤防に必ず出向き、この出合いに出席し、故郷を離れている間もこの日のことを忘れたことなどなかったボクですが、今年は若衆を卒業したお陰で26年ぶりに自由を満喫できる朝を迎えることができました。

大げさに聞こえるかも知れませんが、若い頃、この祭りに大きなストレスを感じていた頃にはこの心境は夢のまた夢、遙か先の事でした。
まぁ、実際にその時を向かえると、それは単に歳をとっただけであったり、すでに祭りはストレスではなく楽しみになりつつあったり、感慨という程のものもなく妙な心境なのですが。

それに、何だかんだ言って今年も出合いには参加してきました。
正式に出席義務はないのですが、沿道の照明に使う提灯器材の製作がまだ残っていたので、その段取りと実際の製作をしにいってきました。
48名と近年ではもっとも少ない人数になってしまった若衆ですが、夏の強い日射しが照りつける中、今年も元気に柱松上げや太縄製作に頑張っていました。
最近、天候不順に翻弄されている日本列島ですが、晴れてくれた今日と、明日からの一週間だけはどうかいい天気が続いて欲しいものです。

ところで、
7ヵ日の出合いも無事にお昼までに終わり、ボクは午後は仕事に出掛けたのですが、昼食の時間がほとんどなくなってしまったので久しぶりに吉野屋に立ち寄りました。
「牛鉄鍋膳」を食べてみたかったのですが……そこそこ旨かったってことで、まぁ、それはいいんです。
ボクの正面に面白いお客さんがいたんですよ。
牛丼や豚丼、今日頼んだ牛鉄鍋膳でもいいんですけど、トッピングや追加メニューを頼んだりたまにするじゃないですか。
ボクは浅漬けを取ることが多いんですが、他にゴボウのサラダとかけんちん汁とかも好きでよく注文します。
ボクの正面のお客さんの追加メニューには驚きました。
彼は牛カレー丼を食べていたんですが、そのドンブリの横には豚丼が並んでいて、彼はその2品を交互に食べていました。
彼にとってどちらが主食でどちらがおかずだったのでしょうか?
話を聞いてみたい衝動にもかられたのですが、ちょっと怖いし、仕事場にも早く行かなくてはならなかったのでトットとその場を後にしました。
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by kaizoe | 2004-08-08 01:29 | 河内火祭りと若衆
記念にとっておくか
a0019755_23572857.jpg
私の左肩にはテニスボールを半分にスライスしてくっつけた位のコブがあります。

火祭り(大念仏)で使われる二つの真鍮製の鉦(かね)は鉦のみの重量で80㎏を超えていますから、担ぎ棒と綱を合わせると90㎏近くあるでしょうか。
二人で均等に担うとして一人の肩に45㎏程の重量が掛かることになります。
夕方の6時半に祭りが始まり、7時くらいに岡に上がってからは大念仏が終了する翌0時位までは人の肩から下ろしてはいけないことになっています。
鉦打ち達はこれを4組から5組で交代しながら延々と打ち鳴らしていきます。
いつだったか、夜が明けて東の空が白んでくるまで行われたこともありました。

ただ担ぐだけでも重い上に、自分自身で振木(しんもく)という槌を振って鉦を叩かなくてはいけません。そのたびに鉦をぶら下げた担ぎ棒はギシギシ揺れ、肩に食い込んできます。

最低でもざっと5時間くらい叩き続けるわけですが、我慢の限界は……そうですね~、開始30分くらいでやってくるでしょうか?(笑)
肩は赤く腫れ上がり、時には皮が剥けたり擦り傷になったりします。
それでも、痛いのは全員一緒、棄権をすることも誰かにレギュラーを交代して貰うこともできませんからみんなただただ頑張って叩き続けることになります。

私が鉦打ちの現役だった頃は後半戦に入る頃になると、暴れ疲れた先輩達が何処かに消えてしまっていることが結構あり、4組での交代の筈が3組になり最悪の場合2組または、いつまでたっても交代が来てくれない、なんてこともありました。
そんな時も何とか叩ききりましたが、ある年、祭りを終わってみたらお土産に左肩にポッコリと大きなコブができていたというわけです。

一時の腫れだろうと思いたかったのですが、いつまでもコブは消えませんでした。
少し不安になり、念のため病院でMRI検査をして貰いましたが、脂肪のかたまりで特に悪性のできものではないと言われました。
そう言われても気味が悪いものですが、それでも手術で取り除くのも何だか面倒なのでそのまま現在に至ってしまいました、ハハハ。

8月に入り、いよいよ今週末が7カ日の出合い。
その日から本格的な準備と練習に入り、15日の本番に繋がります。
ここ数年、若衆の脱退が相次ぎ、今年は今まででは考えられなかった48名という少人数での開催になってしまいました。
去年も50数名という人数でしたが、その時頭だった私は祭りの前に冗談で鉦打ちの一人に、
「今年は人数も少ないし鉦は3組づつにするわ」
と、言ったことがありました。
「うわぁ、無茶苦茶ですよ、勘弁してくださいよ」
と、言ったリアクションを期待しての悪ふざけでしたが、予想に反して、
「それしかしょうがないんやったらやりますよ」
と、言う返事が返ってきました。
その人は、某大手真珠販売会社に勤める上品なサラリーマンだったので少々驚きました。そして、大変頼もしく思ったものでした。

若衆達のそういう心意気に支えられて祭りは続いてきたわけですが。
人数は減っても今年も彼らはやりとげてくれるでしょう、きっと。
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by kaizoe | 2004-08-04 00:39 | 河内火祭りと若衆