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「ナーナー!ホーデンヤー……ホッサイ、ナーナー!」
火祭りの前に延々と行われる大念仏ではこの掛け声を基本にして進められます。 ただ、私にとって謎だったのがこの掛け声の意味でした。 現在使われている言葉ではありません。 意味がさっぱり分かりません。 村にはこれといった書き物も残っていませんし、由来を知っている人物も周りに見あたりません。 もしかすると、意味はないただの掛け声なのでしょうか……いや、でも。。。 ずっとモヤモヤしていたのですが、ここへ来て一筋の光が差し始めました。 こちらのぺージを見つけました。 同じ「ホーデンヤー」という掛け声を掛け合い、鉦、太鼓を打ち鳴らす「お幡入れ・法伝哉(ほうでんや)」という伝統行事があったそうです。 この記事は兵庫県揖保郡の太子町ということで、こちらとは距離的に遠いですが共通項が多いようですし関連がありそう。 聖徳太子を讃える行事みたいですね。 実際にどんな行事なのか見てみたいです。 それからこちらのぺージに「ヤッサイ・ホッサイ」という火祭りに関する表記があります。ホッサイは百束から転じた言葉ではないかということ。 柱松に火を着けるタイも百束……伝統文化として、念仏行事と柱松行事が合体しているパターンは珍しい(海の博物館・館長談)そうですが、これはただの偶然でしょうか。 また、記事に登場する北畠親房は南北朝時代、伊勢の隣、田丸という所に城を築き、九鬼嘉隆が勢力を伸ばし鳥羽・志摩を制圧するまで、北畠家は国司としてこの辺りも納めていましたので、うちの火祭りと関係があってもおかしくはありません。 ちなみに、鳥羽ではうちの祭りは「1591年に九鬼嘉隆の命により始められた」といわれていますが、これだけ奇抜な様式が何処かから唐突に持ち込まれ、いきなり始められたとはちょっと思えません。 私はもっと以前からこの地では、土台になる祭りがすでに行われていたのではないかと推測しています。 今のところ全部、想像とこじつけでしかないのが残念ですが、これから裏を取っていけたらと思います。
by kaizoe
| 2005-01-15 04:17
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